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VIVA DaD日誌~明治〜戦後の農家の歴史~

皆さんこんにちは!

宮崎市郡司分できゅうりを育てている農家の

VIVA DaD、更新担当の中西です!

 

~明治〜戦後の農家の歴史~

 

江戸時代までの農家は、村の共同体の中で土地を耕し、年貢を納め、自然と共に暮らしてきました。
しかし明治以降、日本は急速に近代国家へと変化します。産業が発展し、都市が拡大し、戦争と復興を経験する中で、農家の暮らしも大きく揺れ動きました。️
農家の歴史は、この近代の激動の中で“耐え、変わり、次へつなぐ”ことの連続だったのです。✨


1)明治の地租改正:税が“米”から“お金”へ

明治政府は近代国家を作るために、税制度を整えます。その大きな転換点が地租改正です。
これにより、農民は年貢として米を納めるのではなく、土地の価値に応じて“お金”で税を納める仕組みになります。
一見合理的ですが、農家にとっては大きな負担でもありました。凶作で米が取れなくても税は一定。現金が必要になり、農家は換金作物を増やしたり、副業に力を入れたりしながら暮らしを支えます。

この時代、農村には貧富の差も生まれやすくなり、地主と小作人の関係が強まる地域も多くありました。
農家の歴史は、土地をめぐる苦労とともに進んでいきます。


2)大正〜昭和初期:農村不況と暮らしの厳しさ

大正から昭和初期にかけて、農村はたびたび不況の波を受けます。米価の変動、世界恐慌の影響、自然災害…。
農家は収入が不安定で、生活は決して楽ではありませんでした。
それでも農家は、肥料を工夫し、作付けを変え、家族総出で働き、何とか暮らしを守ります。

この時期の農家は、農業だけでなく、

  • 養蚕(絹)

  • 織物

  • 炭焼き

  • 出稼ぎ
    など、地域の条件に合わせた生業で生活を成り立たせました。
    農家の歴史は“複数の柱”で暮らしを維持する知恵に満ちています。✨


3)戦中〜戦後:食糧不足と“食を支える使命”

戦争が激化すると、農家は食糧増産の役割を担わされます。
農地は重要な生産基盤となり、農家は厳しい統制の中で作物を作り、供出を求められます。
戦後もすぐに食糧不足が続き、農家は社会を支える存在でした。
都市では食べ物が足りず、農村からの作物が命綱になる。
「農家が作るものが、人を生かす」
この時代ほど、その意味が重かった時期はありません。

サツマイモ、カボチャ、雑穀…手に入るものを作り、命をつなぐ。
農家の歴史には、派手な成功物語だけでなく、“生き抜く力”が刻まれています。✨


4)農地改革:農家の立場を変えた大転換点

戦後の大きな転換点が農地改革です。
地主制度のもとで苦労していた小作農が土地を持てるようになり、自作農が増えていきます。
これは農家にとって「自分の土地を耕す」という誇りと安定につながりました。✨
もちろん地域によって状況はさまざまですが、農家の歴史の中でも非常に重要な節目です。

土地を持つことで、

  • 作付けの自由度が増える

  • 労働の成果が直接生活に反映される

  • 家族の未来を描きやすくなる
    こうした変化が起こり、農村社会のあり方も変わっていきました。


近代の農家は“変化の波”を受け止め続けた

明治の制度改革、不況、戦争、食糧不足、そして農地改革。
農家の歴史は、時代の大きな波に翻弄されながらも、土地を守り、食を守り、家族を守るために努力し続けた歴史です。